PROFILE

松本茂高  Shigetaka Matsumoto

1973年神奈川県生まれ。21歳の時に初めて訪れたアラスカの原野に圧倒され、現在もアラスカを中心とした旅を続けている。
ニコンサロン新宿、モンベル、コニカミノルタプラザ新宿、山梨県北杜市津金学校などで個展を開催。




2013年2月12日火曜日

スピリットベア との出会い

Story 15 years ago



太古の昔、この大地のほとんどは氷河で覆われていたという。その後、氷河はゆっくりと後退し、何もない岩ばかりの大地が露出し、長い年月を経て、いつしか深い森が出現した。

Glacier Bay National Park and Preserve, Alaska.


現在、カナダ太平洋沿岸部の森は圧倒的な緑の世界である。僕はこの原生の森に惹かれ、カヤックを使って海から森へと旅を始めていた。そして、この土地に深く携わっていた人から、伝説の白いクマの存在を耳にしていた。


Old Growth Rainforest, BC Canada.

僕はこの土地を訪れる度に森の奥深くに潜むという伝説の白いクマの存在をいつも意識していたように思う。ある時、この辺りの島で伝説の白いクマを見たことがあるという人に出会った。その島には何頭かではあるが、確実に白いクマが存在するらしかった。僕はこの情報を頼りに、この島へとキャンプ道具と食料を積みこみ、ボートで運んでもらった。「一週間後に迎えにくる、グッド・ラック!」と運んでくれた先住民の人と握手を交わし、視界からゆっくりと消えて行くボートをぼんやりと見送った。あたりは静寂に包まれ、再び森は太古の様相を取り戻していった。今すべきことは早くベースキャンプを設営することだ・・・。



夜明けとともにテントの中が次第に明るくなってきた。昨夜からひっきりなしに、ぱらぱらとテントに降り続いていた雨粒の音もどこかに消えたようだ。森の何処で「ガーガ。ガーガ。」とよく通る鋭い声の主はワタリガラスであろうか。何やら騒々しく叫んでいるが、何か近くにいるのだろうか。今日は一体どんな一日になるのだろうかと、湿った寝袋の中でまどろんでいると、朝日が鬱蒼とした森の中に差し込んできた。木立がシルエットとなって、テントのキャンバスに映っている。

心地好い我が家と決別し僕はテントの外へと出て行った。目の前の倒木に向って用を足していると、20メートルほど離れた苔の絨毯の上に大きな白い物体が目に飛び込んできた。なんとあれほど会いたかった伝説の白いクマが、僕のすぐ目の前で居眠りをしているのだ。そしてこちらの存在に気が付くと、しばらく僕を不思議そうに見つめていた。やがて、この頼りない二本足の動物に対して興味がないのか再び居眠りを始めてしまった。


Spirit Bear of the Rainforest


サケを川から獲ってきて森の中へ運んできて食べていたらしく、あたりには数匹のサケの死骸が散乱しハエがたかっていた。僕が何も知らずにテントの中で眠っている間に、彼は川でサケを獲り、ここまで運んで食べていたのだ。そして腹を満たしたのか、今こうやって僕の存在など気に留めることもなく眠っている。人間の世界から遠く離れた原生の森で、僕は伝説の白いクマとたった20メートルほど隔てた距離をおいてこの時間を共有している。何故だか不思議と恐怖感はなく、僕の心は温かさで満たされていった。

この日を境に、このクマと僕は不思議な関係ができあがっていった。僕がこのクマと出会った森には、小さな川が流れている。海へと注ぐその川は、潮が引くと河口が小さな滝となり、その滝の下に沢山のサケが溜まるのだ。彼はそれを見計らって毎日、森から下りてくる。森から顔を出し、潮が引いて露出した狭い岩場を通って漁場へと向う途中、僕と出会うと、一瞬、気まずそうな複雑な表情をこちらへ向けるが、僕がそっと道を譲るとゆっくりとした足取りでサケを獲りに行ってしまう。そして、いとも簡単にサケを捕まえると、口に咥えて森の中へと戻っていく。その光景を遠くからぼんやりと飽きることなく眺めている僕。あたりまえの光景をあたりまえのように眺めている自分自身に不思議な感覚を憶えていた。


Spirit Bear caught a salmon.

この場所では毎年、夏の終わりになると無数のサケが生まれ故郷の川へと帰ってくる。そしてそのサケを求めてクマやハクトウワシ、カワウソ、ワタリガラス、海ではアザラシやシャチといった動物たちもまた帰ってくる。その無数のサケを育む豊かな森。森の木々はクマが運んだサケの死骸から森には存在しない栄養分をもらい大きく成長する。そしてあらゆるすべての創造者としての雨。ここではあらゆるものが繋がりあっている。そしてその大きな繋がりの中に身をゆだねるとき、安心感をはっきり意識できた。心もとないほど脆弱に思える僕の肉体はやがて滅び行くだろうが、この森は永遠に繋がり紡ぎあってゆくのであろう。僕は生まれて初めて本当の自然というものに触れたような気がした。そこには少しも派手さや興奮もなく、時間というものだけがゆっくりと流れていた。




この森を去る日がやってきた。山のような荷物を整理し、カメラ機材もザックにしまいこんでいた。良い写真が撮れたかどうかはもう大した問題ではなかった。ここで過ごした時間を心ゆくまで堪能したかった。そして、クマを観察する場所になっていた大きな石にまたがって海をぼんやり眺めていた。遠く離れた対岸の島のあたりでクジラが潮を吹き上げている。どうやら南へ向うザトウクジラのようだ。たった今、このクジラの群れを見つめているのは僕だけなのだろうか。



Humpback Whale

ボートが10日ぶりに僕のところへとやってきた。山のような荷物をすばやくボートに積みこみ、ベースキャンプを離れると、森の中から白いクマが現れた。そしていつものようにサケを捕まえると、再び森の中へと戻っていった。僕はその光景を見えなくなるまで眺めていた。

Photo and text by Shigetaka Matsumoto.

月刊OUTDOOR/山と渓谷社 2000年2月号より 一部改正

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